銀山湖大岩物語

銀山湖と大岩魚

 常見忠が初めて秘境・奥只見を訪れたのは、1964年のこと。新潟県と福島県の県境付近に「奥只見」と呼ばれる場所があり、その山間を流れる渓流には、イワナがうようよ泳いでいるという情報を、山登りの好きな会社の同僚に聞いたのがきっかけであった。
  いろいろと調べてみると、その場所には2000m級の山々から流れ出る川が何本も集まり、折しもとてつもなく大きなダムが建設されたばかり。しかし、この時常見が入ったのは、このダムではなく、北の又川、中の又川などの流入河川で、釣り方もルアーではなくテンカラ釣りだった。
「毛針で39cmのイワナを釣って、自分では満足して宿に戻ったら、主人に小さいと言われたんですよね。正直かなりショックでした。でも今になって考えてみれば、この頃から大イワナの片鱗があちこちで見え始めていて、地元の人たちはそれを知っていたのかもしれないですね」
  ダムが完成すると、水没した木々や土砂の養分が流出し、それが栄養素となってやがて植物プランクトンを生み、次第に動物性プランクトンに変わる。富栄養化した湖水にはワカサギやアブラハヤが育ち、それらを捕食するイワナやヤマメなどが巨大化する。そうした魚が、秋になると産卵のために川を遡る。当時の銀山湖の流入河川は、まさにその状態にあったのだ。

初めて見た大岩魚

 常見がその大イワナと対面したのは、1966年の秋、中の又川支流でのこと。そしてこの時の経験が、当時はまだほとんど愛好者のいなかったルアーフィッシングへと一気に傾倒させることになる。釣り宿を始めたばかりの村杉小屋・佐藤進と知り合い、この時彼がゴロ引きで掛けたイワナは70cmを超していた。人の拳が優に入る大きな口は圧巻で、その姿はとても普段目にするイワナとは別物。まさに“怪物”と呼ぶにふさわしい魚であった。
「イワナというよりも鮭でしたね。鯉みたいに丸々と太っていて、何匹も上流に頭を向けて悠然と泳いでいました。それを村杉の親爺さんが掛けた。この怪物を見てから、私の中で釣りに関する観念が変わってしまいました」
  こうしたイワナは、餌釣りやテンカラ釣りでは、たとえ掛けたとしても獲ることができない。実際、常見の友人は竿をへし折られた。何とかしてこの怪物を釣り上げることはできないものか、当時の常見はそればかりを考えるようになる。

ルアーとの出会い

 そんな時、少し前にデパートの釣り具売り場で買い求めた疑似バリのことを思い出した。ショーケースに飾られていた金属片とそれを投げるための仰々しい蓋付きの道具(=リール)、店員は「湖でニジマスを釣るためのもの」と言ったが、詳しいことは何も分からない。常見は単なる好奇心から、スピニングロッドとクローズドフェイスリール、3個の疑似バリを購入したのだった。
  そして迎えた1967年6月、常見はとうとうこの疑似バリを試してみることにした。予め仲間に見せると「そんなブリキの玩具みたいなもので釣れるはずがない」とさんざん冷やかされたものの、信念を曲げるつもりはなかった。
  場所は、北の又川のバックウォーター。仲間はここから川を遡って行ったが、常見と兄はあえてそこに残った。ここには大きなニジマスがいるのではないかと思ったのと、デパートの店員が「ルアーは湖で使うもの」と言っていたからだ。
  そして遂に運命の時が来た。無我夢中でヤリトリをし、最後は後ろで見ていた常見の兄が膝まで流れに入り、タオルを腕に巻いて魚を抱き抱え、そのまま岸に放り投げた。上がったのは58cmの大イワナ。銀白色に輝き、剛毅な顔つきをした“湖の悪魔”だった。
「釣れた時は何をしゃべったんだか、全く覚えていないんですよね。正直何が起きたんだか分からなかった。後で聞いた話では、怪物が釣れた、悪魔が釣れたとぶつぶつ呟いていたようです。でも引っ掛け釣りでしか掛からなかった大イワナが、ルアーで釣れたことがとてもうれしかったのを覚えています」
  銀山湖の大イワナ伝説は、この瞬間から始まった。そして同時に、ここから日本のルアーフィッシングは加速度的に発展していくことになる。


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